死の恐怖から逃げるな
- fusizaki
- 2018年10月30日
- 読了時間: 1分
誰しもが感じたことがあるであろう死の恐怖。多くの人はそれを感じたことがあったとしても、合理化し死を受け入れ、何も感じずに生きている。それは本来の生物のあり方として正しいのかもしれない。しかし、現在2018年を生きる人間にとって老化および死は克服可能な疾病であると考えることもできる。生物は死ぬことが当然だとする現社会の倫理は作った当時の人間が勝手に作ったものであると言える。その倫理が大衆の生活する現在の地球における社会を支配し、死の恐怖を忘れさせる。おそらく生物の中で最も死を恐れることができるのは人間であり、人間は生物の中で最も死を克服する可能性を秘めている。不死など不要であるという人間は多く存在する。しかし実際に彼らの中で死を目の前に堂々と死んでも平気と言えるだろうか。少なくとも死にたいする恐怖をある程度は感じるであろう。それを常に忘れないでいただきたいのが私の願いである。生きていることを幸せに感じ、日々1日1時間を精一杯生きて欲しい。死ぬことを無視して生きることは生きたくても生きられなかった人に対して悪いと私は考える。一人でも多くの人間の意識改革が人の社会をより純粋なものにする近道だろう。
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