進化の賜物である不老
- fusizaki
- 2018年3月19日
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不老社会には大きな問題も存在する。
それを1つ1つ慎重に吟味するほどの時間はないだろうが、人間が不老を否定する権利はないのではないかと私は考える。
そもそも生物の進化とは長い年月をかけて不要なもの、生存に不利なものが淘汰され、現在生きている様々な生物へとたどりつく。
人間はその進化の過程で知能を手に入れた。
その知能を駆使することで現在の社会が成り立っている。
すなわち「不老」は進化の過程で人間が獲得したものであり、「不老」もまた進化であると言えるであろう。
「生き物は生殖活動を通して次の世代に遺伝子を受け継ぐ」というのはあくまで人間が考えた定義であり、それが必ずしも正しいのか不明である。
ヒトは進化の過程で感情を得てしまった。
感情のあるヒトは「死ぬ」ことは進化であると割り切って、怖さ・寂しさなどの感情を捨てて死ぬことができるであろうか。
私はそうは思わない。
人間が得てしまったこの「感情」も進化の賜物であり、それがゆえに次の世代に無理して遺伝子を受け継ぐ必要はないのではないだろうか。
あくまで私個人の考えであり、倫理を否定するものではないが、人を人が作った「生物の定義」にそのまま当てはめてしまっている現状について、もう一度考えても良いのかもしれない。
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